もらい物で暮らしている我が家(大袈裟)は、今日も豆をもらった。
えんどう豆のスジを取りながら、妻が「お義姉さんにスナップえんどうもらったよ。」と言う。
そこへ通りかかった高校生の娘は「あ、スナックえんどう!」と言った。
僕はスナップかスナックか前から気になっていた。
(僕の脳が「調べろ、すぐにスマホで調べろ」と指令を出す。)
妻曰く、スーパーでは「スナップえんどう」も「スナックえんどう」もどちらの表記も見たことがある。そして、そのどちらも同じ豆である。
だからどっちもアリなんじゃない?
それかスーパーの青果係の人もどっちか迷ってんじゃない? ・・・ということだ。
そんなことってあるのかな。
(調べたい。本当はどっちなのか知りたい。)
「スナック」って、ちょっとつまむ食べ物とかお菓子とかの感じがする。
妻も「そうだねー。このえんどうも茹でてそのまま食べるもんね、マヨネーズつけて。甘いし。」と言う。
「じゃあスナップって何?」と聞くと、「手首の…クイッてやる強さ!」と言う。
「ふん、、? じゃあスナップえんどうってどういうことかなぁ…?」と聞くと、「う〜ん、さやが、こう・・・ちょっと曲がってるから?」 と言う。
「ふ・・・ん、、、??」
僕はこういうどうでもいいことを考えるのは好きなので、この会話をもう少し続けたかったけど、妻はどうでもいいことはどうでもいいので、ちょっとめんどくせーなと思い始めているようだ。
「わたしお風呂の掃除してくる。来週マンションの排水管清掃の人、来るから。」
「うん。」
僕は今「何でもかんでもすぐスマホで検索したくなる欲」と戦っている。
「スナップえんどう スナックえんどう どっち」、きっとあるだろう。
まぎらわしい言葉づかい、人の名前、知らない単語、知らない制度・・・などなど。
必要なこと・曖昧だったことを、きちんと知ること。いいことだ。
だけど、「何でもかんでもいちいち調べずにはいられない」というのはどうなんだろう?
ある種の癖になっているみたいだ。
くだらない僕の、くだらない検索履歴。
見られて恥ずかしい検索履歴は忘れずに「消去」だ。
ネットがなかった頃ならどうしていたんだろう?
広辞苑をひらく。
「スナッ◯えんどう」・・・は載っていない。
・スナック ①軽食、間食 ②スナック菓子の略 ③スナックバーの略
・スナップ ①衣服の合わせ目を留める凹凸一対の小金具。押しホック。
②スナップショットの略。 (素早く撮る写真のことだってさ)
③野球の投球やゴルフの打球の際に、手首の力を使うこと。
(広辞苑第六版より)
だそうだ。
僕は、調べる前は、手軽につまんで食べられるお菓子っぽい「スナックえんどう」が正解じゃないかと思い始めていた。
けれど調べた結果、豆が一列に並んでる様子を「スナップボタン」に見立てている「スナップえんどう」説もワンチャンあり得る、と思ってしまった。
結論を焦らない。ネガティブケイパビリティだ。
僕はこのモヤモヤした気持ちのまま、ブログを一本書くことにした。
欲には勝った。 このモヤモヤはしばらく心に飼っておく。
いつかスナップかスナックかを自然に知る日が来るかもしれない。
(ねえ、これって誰でも知ってる常識、ってことないよね?)