totoを当てる日

サッカーくじtotoを当てて人生を変える話

仁義なき戦い 膝と膝篇

二十代の半ば頃、大学時代の友人の結婚式があった。

新郎新婦とも同じ吹奏楽部の仲間だったので、同学年で数年ぶりに集まって、披露宴で何か合奏しようということになった。

 

その事前練習で集まるために、楽器ケースを提げて電車に乗った時のことだ。

 

 

ちょうど五月の半ば、今くらいの季節だった。

 

大学も、当時住んでいたのも、同じ関西地方の中だが、いくつか県をまたぐ移動である。

電車に乗る時間も長いので、できれば座りたいと思っていた。

車内は、ほとんどの座席が埋まるくらいには混んでいたが、二人がけ席の通路側に、一つだけ空いている席を見つけた。

通路の端に邪魔にならないようにケースを置いて、座席に座ろうとすると、隣はちょっとガラの悪そうなおっさんだった。

 

あー、だからここだけ空席だったのか。

理解はしたが、顔を見てまた立ち去るのも何なので、そのまま座ることにした。

僕はおっさんの隣に腰を下ろして、腕組みをした。

 

五、六十代くらいか。薄いサングラス。上着を脱いで、ネクタイを外し、シャツのボタンを開けている。

 

 

おっさんはありえないくらい股を開いて座っていた。

僕も普通に脚を開いて座っていたが、僕の右膝とおっさんの左膝は触れあっていた。

おっさんの左膝から圧を感じる。これ以上押されたら、僕は膝をピッタリ揃えて座らなければならない。

 

僕も自分のスペースを確保するために、右膝でしっかりガードした。

触れあった二人の膝が、静かに押し合っている。

さりげなく、でも負けないように。

 

しばらくはそんな感じで電車に揺られていたが、あまりにもおっさんが脚を開いてくるので、試しに僕も右膝に力を込めてグッと押し返してみた。

すると・・・、

 

「オウ! おんどれ、横着しとったらアカンぞ!」

おっさんが怒鳴った。

 

(Oh、そう来たか、、、) 僕はやってしまったようだ。

 

「わしゃ今は尼崎のナントカ親分の葬式の帰りやからこんな格好しとるけどのう、✕✕の△△のもんじゃ! おう、横着しとったらアカンぞぅ!」

 

ここは冷静に行かないとヤバい。

 

僕は腕組みをしたまま、ゆっくりと周囲に視線をめぐらせた。

 

周りの人たちはあからさまに視線を逸らした。関わり合いになりたくないです、の気持ちが瞬時に伝わってきた。

残念ながら助けはないようだ。

 

僕はそのままゆっくりおっさんの方へ顔を向け、薄いサングラスの奥の、おっさんのちっちゃい三角の目を見た。

 

「〇〇(駅の名前)で降りて、△△の事務所に行くかぁ! オウ、コラ!」

 

おっさんのちっちゃい三角の目からは、発言の真偽の程は判らなかった。

 

僕はあまり喧嘩をしたことはないが、多分弱いだろう。だからそういう事態になってはいけない。

そして口を利けば、どんな人間かはだいたい分かってしまうだろう。

 

決して怯んではいけない。かと言って挑発してもいけない。

とりあえず無言だ。

脅しても、冷静で動じない「得体のしれないやつ感」を出すしかない。

 

僕は奥歯をしっかり噛み締めて、なるべく無表情で、おっさんときっちりと目を合わせた。

 

あんたの言うことはちゃんと聞いてる。

でも特に反応はしませんよ、と。

 

 

実際、あまり怖いとは思わなかった。

薄ぼんやりと死にたい気持ちを抱えながら過ごした十代を経て、僕にはまともな社会生活ができないと感じた、ろくでもない大学生時代。

一度死んだつもりで、今の仕事の世界に飛び込んだ時期だった。

いつ死んでもいいわ、という気持ちは、今もなんとなく心の隅っこに持ち続けている気がする。

 

また、僕には昔から、偉そうにしてる人とか、権力を笠に着ている人に、ついつい歯向かいたくなるという悪い癖がある。

今回も、股の開き合いという、本当にしょうもない場面でその癖を出してしまった。

 

 

 

 

目を逸らすことなくおっさんとしばらく見つめ合っていたが、それ以上は何も言ってこなかった。

僕はゆっくりと顔を正面に戻す。

 

顔をしっかりと上げて、憮然としたまま、腕組みをしていた。

気は抜いていない。

 

おっさんの脚は普通に開いている人くらいにはなって、こっちに圧をかけてくることはなくなった。

 

 

◯◯駅で停車する時、何か言ってくるかと構えたが、特になかった。

次の駅が僕の降りる駅だ。

 

停車してから、僕はゆっくりと立ち上がり、デカい革の楽器ケースを提げて電車を降りた。

 

降りるのが、おっさんと同じ駅じゃなくてよかった。

 

 

当時の僕がもともと醸し出していた「得体のしれないやつ感」が僕を助けてくれたのかもしれないし、おっさんが「こんなしょうもないガキ、相手にするまでもない」と考えたのかもしれない。

とにかく僕は練習に向かい、懐かしい友らと再会した。

 

 

今回、文章にしてみれば、細かいこともまあまあ憶えている出来ごとだが、再会した友らを含め、今まであまり誰にも話したことがなかった。

本当に事務所に連れて行かれてたら、話のネタくらいにはなったかもしれない。

でも痛いのは苦手だから無理だ。