totoを当てる日

サッカーくじtotoを当てて人生を変える話

すいみんぐ

昨夜からの雨が強く降り続いている。

 

この前のブログで、保育園やスイミングクラブを、嫌いだった、と書いた。

でも、それは大人になった自分が振り返ってみれば、「ああ、嫌いだったんだなぁ。」と思った、ということだ。

 

その当時の僕にとっては、保育園もスイミングも、好きとか嫌いとかいうようなものではなく、「行かなければならないもの」でしかなかった。

行きたくないだの、嫌だだの、口にしたことはないと思う。

うまく馴染めない自分はダメな奴だと、いつも思っていた。

 

 

スイミングは、毎日毎日僕一人で家に置いときたくないとか、喘息気味の体を丈夫にしたいとか、母親なりの理由があったのだろう。

母にある日突然連れて行かれて、乗り気でないまま始めてしまった気がする。

 

楽しんではいなかった所為か、なかなか上達しなかった。

周りの子よりもぜんぜん級が上がらなかったし、それほど上がりたいとも思っていなかった。

でも僕なりに一生懸命にはやっていた。

 

嫌な気持ちを言葉にしたり、わざと態度に出すことはなかったし、なんとか教えられたとおりにやろうとしていたと思う。

でも、ずーっと長いこと背泳ぎのクラスから進まなかった。

 

 

スイミングで唯一好きだったのは、レッスン後のサウナルームだった。

痩せっぽちで小さかった僕には、サウナでゆっくり身体を温めるのが気持ちよかった。

 

僕が教わっているのとは違う、上のクラスのマッチョなコーチ達が、面白い話をしてくれたり、逆立ちをして見せてくれたり、クルスタルキングの「大都会」を熱唱したりするのを、サウナの端っこに座り、黙ってずっと見ていた。

 

いつも誰よりも一番最後までサウナにいた。

 

 

小1になってからは、家から1~2kmくらいのスイミングクラブまでは、いつも歩いて一人で行くようになった。

一度、なんだかどうしても行きたくなくて黙ってサボったことがある。

すぐにバレて、母親に何故かと訊かれたけれど、うまく答えることはできなかった。

 

その後、歳を重ねるにつれ「サボり」の常習犯になっていく僕の「はじめてのサボり」だったかもしれない。

 

 

その頃、めちゃくちゃ楽しみに夕方に観ていたのが、再放送の「ウルトラマン」だ。

その最終回の日も、スイミングで観られなかったことを憶えている。

最終回には最強の怪獣ゼットンが出るということは、雑誌で見て、知識として知っていた。どうやらウルトラマンよりも強いらしい。

ゼットンは見たい。絶対見たい。

 

でもスイミングには行かなければならない。

大急ぎで帰って来たけど、やっぱり間に合わなかった。

結局、ゼットンがどれほど強くて恐ろしいやつだったのか、未だに僕は知らないまんまだ。

 

 

 

夏になるとたまに、父が県営プールに連れて行ってくれた。

スイミングクラブ以外では、泳ぐのは別に嫌ではなかった。

 

父は「水着が古いのしかない」と言って、

絶対に違うと思うけど、子どもの頃の僕の見た目では「ニット(手編み?)のショートトランクス」、

それも「山吹色のニットに、臙脂色のボーダーが2本入っている」という、なかなか他の人が履いてないような、個性的な水着を押し入れの奥から出してきて履いていた。

(セットの水泳キャップも山吹色のニットだった気がする。)

 

そして見せてくれる泳ぎ方は、いつも「犬かき」「横泳ぎ」「立ち泳ぎ」だった。

 

いつもほとんど喋らない無口な父(厳格とか無愛想ではなく、おとなしい無口)だったが、手編み(みたいに思えた)の水着を着て得意げに横泳ぎしていた父は、今思えば父なりに、息子相手にはしゃいでいたのではないだろうか。

 

 

今、その姿を思い出していた僕は、なぜか不意に涙が滲みそうになっている。

 

幼いころの僕の価値判断の基準は、圧倒的に母親だった。

母は、あまり喋れない父をダメだと言っていた。事業が上手くいかなかった父を罵倒した。祖父母の介護が辛かったことでも、いつまでも父を責めた。

父はいつでも言われっぱなしだった。

そして幼いころの僕は、父をダメな人だと思っていた。

 

 

 

 

だから今僕は、泳いでいる父や、一緒にキャッチボールをした父の姿を思い出して、泣いてしまっているのだろうか。