totoを当てる日

サッカーくじtotoを当てて人生を変える話

Spit it out ②

子どもの頃から時々僕を囚えた「虚無」は、中学、高校になってもやはり時々やって来た。むしろ、より頻繁にやって来た。

今になって振り返れば、高校を卒業して家を出てから、特に妻と出会ってからは、あの「生きていくのが虚しい」という感覚は出なくなったので、やはり家の問題、特に母との関係によるところが大きかったのかもしれない。

 

 

虐待されるとか放置されるとかというようなことは全くない。愛情を持って育ててくれたのは間違いないと思う。

ただ彼女自身が他人に対する不信感を強く持った人であり、裏表の激しい人でもあった。どうでもいいような細かいことが気になり、不安も多い。

僕は人格形成の時期に、その母の言動を一身に浴び過ぎたのだと思う。そして母以外の人からの影響を受ける機会が無さすぎたのだとも思う。

 

母は、僕に自分の言うことを聞かせたい時、「物事の善悪を説く」みたいなことはあまりしなかった。

例えば「近所の〇〇さんがあんたのことをこう言ってたよ。」と事実か嘘か判らないことを言ってみたり、「〇〇さんちの〇〇君はこんなにすごいよ。」みたいな言い方をすることで僕をコントロールしようとした。7歳で、引っ越して来たばかりの家でずっとこれをやられると、何となく近所の目が気になり、その町を好きにはなれなくなった。

母は近所の人や親戚の人の悪口を言い続け、僕はその人達を悪い人たちだと思っていた。

僕のいない時間に、僕の部屋はいつもチェックされていたようだった。すべての引き出しは開けられ、見て欲しくないものがあった時は、後々”ここぞ”という場面でその存在を口にし、嫌味を言われた。僕が人からもらった手紙なんかも全部読まれてたのかもしれない。分からなかったけど、あの人がやらない筈がない気がする。

 

それでも幼い頃から、僕はいつも親に気を使っていた。

心配をかけないように。母の望むような人になるように。

 

毎日毎日、どこかしら身体の不調を訴える母親を心配し、毎日一時間以上、肩を揉んだり足を揉んだりしていた。

現在、世の平均寿命くらいの年齢を迎える母親だが、結果的にみると今まで大きな病気をしたこともなく、まだまだ当分死ぬ気配もない。それでも、僕が物心ついてから今日まで、常に常に必ず身体の不調は訴え続けている。

そういうものなんだと思う。僕は大人になってからそれに気づいた。

 

ただ、どう頑張ってみても母親に褒められることはなかった。やはりいつも何かが不満なのだった。

学年で一番の成績を取り、地元の進学校に行くあたりで、友達の母親なんかと話す時に母は自分のしてきた教育を誇っているようであった。他のみんなのようにゲームもしないで、夏期講習に行かせただけで成績は上がり、ナントカ委員長もやっている。あじろさん、すごいね~。人に言われるのは嬉しいのだろう。

 

 

高校生になった僕は、優等生に見られることに嫌気がさしていた。そうではない自分になりたかった。不良にはなれず無気力になった。

相変わらず家での僕は、本を読んで音楽を聞くくらいしかすることがなかった。深夜ラジオが楽しかった。朝起きて学校に行くことは苦痛だった。

学校もサボった。朝、家は出る。でも学校には行かなかった。サボった時間は自由な時間だ。親が仕事に出かけていなくなった家に戻り、「笑っていいとも」を見ながら弁当を食べた。

ただ、少しずつ学校に行かない日が嵩んでくると、学校から親に連絡が入り、事は露見することになる。監視の目が厳しくなり、サボることもできなくなった。

成績は順調に下降した。

 

母親と言い争うことも増えた。母はやはり「善悪を説く」ことはせず、父親が何も言わないせいだと父を責めた。そして僕との意見の対立が強いときは、ヒステリックに泣きながら、自分の不幸な生い立ちを語った。その話をすると相手が雰囲気的に言い返しづらくなるからだ。

だけど、いつもいつもそれをやられると、あなたの不幸と僕の進路と何の関係があるんですか? あなたが不幸だからといって、僕は何でもあなたの言う通りにしなければならないんですか? という気持ちになるのだった。

今でも、同情で人を自分の思い通りに動かそうとする、母のそのやり方は変わらない。

 

 

僕は家を出て行きたかった。

大学進学を口実に家から出たかった。地元の国立大以外ならどこでもいい。大して勉強もせずにそんなことばかり考えていた。

僕のやりたいこと(今やっている仕事)を口にしたことはあったが、母には散々馬鹿にされて一蹴された。当時はその進路を目指す覚悟も方法も、僕自身もはっきり分からなかったので、クラスメイト達と同じ、一般的な大学進学を選んだ。

成績はまったく奮わず、受験できる国立大は限られていた。そんな中で、後期の二次試験を受けに行った受験の宿で、あの男とは出会った。    (つづく)