❝昼寝とは自由な人生の象徴である❞
そう言ったのはどこの国の哲学者であったか?
いや、どこの国の哲学者でもない。
いま僕が言っただけだ。この土曜日の午後のひとときに。
でもあながち間違ってはいないだろう。
授業中や仕事中に昼寝はできまい。(してたけど)
寝っ転がってこの文章を書いている今、自由を感じている。
このまま眠ったっていい。
「自由」は本来、僕が人生で最も大切にしているものだ。
読んでおられる方も、時に「何かこの人、自由そうだなぁ。」と感じられたことがあるかもしれない。
良くも悪くも…。
自由ったって、いい加減に生きてるわけではない。多分。
僕、けっこう真面目だと思う。(?)
ただ、あんまり決めごとに囚われないというか、ちゃんといちいち自分で決めてるというか。そういう自由さはある。
それが孤独を招くこともあるけれど。
今現在は「自由」の優先度は3番目くらいかな。
1番目、2番目に大切にしていることは…、
そう、アレとアレです。 (totoと金じゃないよ)
僕は自由であろうと思って、勤め人ではなく、自分でできる今の仕事を選んだ。
その修行のために勤めてた時期はあるけれど。
個人事業主、自営業は自由っちゃ自由だし、不自由っちゃ不自由だ。
自分の都合で何でも決められるけど、他人のことを考えないと仕事って成り立たないし。
でも、その道を選んだのは自分なので、やっぱり自由だ。
お金を払って人を雇うというのも、非常に心を削られることも多いが、学ぶことも多い。
雇用主の文句を言いながら雇われてる時の方が、やっぱり気は楽だったと思う。
僕も、子どもたちが経済的に自立したら、いつか事業を辞めて、またどこかに勤めるのも楽しそう、と思うことがある。
今はそれは自由には選べない。
扶養する義務がなくなったら、もう一度改めて考えてみることができるかもしれない。
好きな仕事ができている楽しさと、事業を継続させ続けることのプレッシャーとのせめぎ合いはいつもある。
totoが当たれば選択肢が変わってくるかもしれないな。
うん、そろそろ当たって欲しいものだ。
今週でもいい。
・・・まあとにかく、昼寝できる自由は素敵なことなので失いたくない。
❝昼寝とは自由な人生の象徴である❞
大切なことなので、先生、二回言いました。