先週一週間夢中になっていた「タロット占いでtotoの予想をする」という初めての試みの結果報告です。
13試合中、的中は・・・
3試合のみ・・・、でした。
惨の敗です。
こんなに当たらなかったことは今までなかったくらい当たらなかった。
なんでだろう?
考えられるのは、
①タロット占いはtoto予想には向いていない。
②「大三角形の秘法」という占い方法がtoto予想に合っていない。
③僕の占いの能力が圧倒的に足りない。
④totoは当たらない。
くらいかな。
でも、初心者が本を見ながらの占いでも、その時には何かそれらしく見えたんですよね。
状況にこじつけられるピッタリ合うような気がしました。
普段から目にした占いはだいたい素直に信じてますね。「ウソだろ?」とは思わない。
でも対ヒトとなると基本疑いから入る人間です。僕は。
子どもの頃の僕はよく嘘をついていました。
そんな悪意のあるような嘘ではなく、保身や見栄のための嘘。
周囲からは、勉強もできて品行方正な子に思われがちだった僕は、ウソつき呼ばわりされることもなく、自分でも嘘が上手いんじゃないかと自覚していたような気がします。
ただ辻褄合わせのために嘘に嘘を重ねなければならないこともあり、結構頭を働かせて疲れていたような。
元々は母親に対して嘘をつくことが多かったと思います。
そして必要のない場面でも自然にちょっとした嘘をつくようになっていました。
大人になり客観的な目で見ても、うちの母はすべてに対して疑り深い人であり、僕が生まれる前に亡くなった父方の祖父母の悪口を事あるごとに言い、父の悪口を言い、親戚の悪口を言い、近所の人の悪口を言い、僕の友だちの悪口を言い・・・
幼い僕に世の中の怖ろしさ・憎しみを叩き込んでくれていたのかもしれません。
でも外づらはよく、自分では自分のことをとてもいい人だと思っているようです。
・・・軽くtotoの結果報告だけしようと思って書き始めたのに、何か変な心の扉を開いてしまいました。
その後、成長して家から離れた僕は、嘘をつく必要のない人たちと一緒に暮らすようになり、逆にほとんど嘘のつけないくらいの人間になってしまいました。
嘘をつくのはもうめんどくさいと感じます。
裏表のない素直な人といるのは何て気持ちが楽なんだろう。
それでも、優秀な嘘つき少年だった僕は、他者に対して疑いの目から入る癖は残っているように思います。
それは「慎重さ」として良い面でもあれば、「許容力の無さ」「己の器の小ささ」として苦しむ面でもあります。