totoを当てる日

サッカーくじtotoを当てて人生を変える話

井戸に入る日

大学一回生の夏。

所属していた吹奏楽部で、コンクールに向けての夏合宿を大学構内で行った時のことだ。

夜のレクリエーションとして「肝だめし」をやろうということになった。男子部員が脅かし役、人数の多い女子部員たちが数人ずつのグループになってコースを巡って行くというものだ。

「音楽よりも遊びの企画に一生懸命」の三回生のE先輩を中心に、僕らは肝だめしに相応しい校内のコースを考えた。

 

どこの学校にも怖い話はあるのだろうけど、うちの大学にもその手の話はいろいろあった。

大学のあるその場所は、元々は古戦場であったとも言われる。

「構内の竹藪に毎年張り直されている注連縄は、昔そこで自殺した人がいるからだ。」だとか、「理科棟三階では夜中に鼠を探すお婆さんが出る。」だとか、「そのお婆さんに会ってしまった警備員さんが去年辞めた。」だとか。

あるいは僕が住んでいた学生寮でも、「夜中のお風呂場で排水溝の髪の毛を喰う女が出る。」だとか、「昼寝をしていたら見たこともない子どもに顔を覗き込まれていた。」だとか、「幽霊と麻雀をしたことがある七回生がいる。」だとか、いろんな話があった。

 

大学の敷地の端っこの方にはフェンスで囲まれた立ち入り禁止の池があり、池の奥には墓地があった。

大学ができる以前からある墓地なのでそこだけ残っているらしく、僕は見たことがないが時々お墓参りの方も来られるそうだ。

そしてその墓地の隣には井戸があった。井戸というか、元井戸というべきか?

今はもう使われていなくて、上から覗くと2メートルちょっとくらいの深さでコンクリートで塞がれている。

三回生のE先輩は、「肝だめしには絶対この井戸を使いたい。みんなに井戸を覗くように指示を出しておいて、中に誰か驚かせる役を入れておきたい。」と言う。

 

確かに夜のお墓と井戸は、校内でも指折りの怖い雰囲気のあるスポットだ。

そして、ついてはあじろ、お前が井戸に入れ、ということになった。

 

 

墓地の隣の井戸に入って一人でずっと待っているというのは、あまり気乗りがしない。怖いというより、面白半分でそういうことをするのは何か罰当たりな気もする。

ただ、そのE先輩とは本当に気が合い、入部以来毎日のように一緒に遊ぶ仲だった。一番頼みやすい後輩でもあっただろうし、お互いくだらないことを心底一緒に楽しめる相手でもあった。

誰か他の一回生に押しつけようか?とも思ったが、誰もが嫌がった。

井戸の状態を確かめてから決めます、ということで昼間に先輩と井戸に行ってみた。

 

排水はなされているようで、中に雨水が溜まっていることもないし、少し落ち葉があるくらいで意外と綺麗だ。底はしっかりとコンクリートで平らに塞がれている。変な虫もいない。

内部の側面もきれいなコンクリートで、入る時は縁からぶら下がって飛び降りれば問題ないが、誰かに引き上げてもらわないと自力では出られない高さだ。

実際に入ってみると、まあいけそうな気がした。危険な感じはしない。

緊急脱出時の踏み台用にパイプ椅子だけ持ち込むことにした。

 

 

寮の先輩と話をしている時に、肝だめしで井戸に入ることになりましたと言うと、「あじろ、止めとけ。あのな、人間の精神なんて案外脆いもんなんやから、自由に出られん所に閉じ込めれて何かあったら簡単に壊れてしまうこともあるんやで。」と言われた。

僕はそこまでの心配はしていなかったけれど、親身になってくれているのは感じて今でもその言葉を憶えている。見た目はインテリヤクザみたいな人で普段の言動もチンピラみたいな人だったけど優しい人でもあった。

 

 

さて肝だめしの日、僕は予定通り井戸に入った。

しかし「井戸からフワーッと出てくる」とかなら怖がらせようもあるのだが、井戸の底にいて上から懐中電灯の灯りで覗き込まれるという状態では、案外あまり効果的な驚かせ方がないのであった。

ウワーっ!とか下から大声を出すのも何だか違う気がした。

 

結局、怖々と井戸を覗き込んでくる人たちに、「あ、なんだ。あじろ君かぁ。よかった〜」と却ってホッとされてしまったり、「おっ、井戸の中にあじろ君はっけ〜ん。」と面白がられたり、「E君に入れられたんだね。可哀想!」と同情されてしまったりと、お化け役としてまったく役には立っていなかった。

 

 

後に、村上春樹の小説で「井戸の底に降りていく」というモチーフが何度も出てくるのを読むたびに、僕も井戸に降りた日のことを思い出す。

また、僕が井戸に入ったのは、映画の貞子さんなんかが出てくるよりも以前だったのでまだよかった。ああいうのを観てしまったら井戸に入るのはもっと怖かったんじゃないかと思う。そして多分、貞子さんぽい格好をして井戸に入ることになってしまったんじゃないかと思う。