totoを当てる日

サッカーくじtotoを当てて人生を変える話

手紙

ある女性作家の名前を見ると、ふと思い出すことがある。

 

 

中学に入った時の話。僕は部活を何にしようか迷っていた。

「何か新しいことをしてみたい」という気持ちで部活動紹介を見て、いいなと感じたのがブラスバンド部だった。トランペットを吹いてみたいと思った。

音楽の経験が特にあるわけではない。小学校の音楽の授業では、鍵盤楽器は全然できなかったが、たて笛は案外スラスラと吹ける気がしていた、というくらいのものだ。楽譜もほとんど読めなかった。

入部してみると、ピアノや楽器の経験者もいたけれど、音楽のことはよく分からない僕と似たりよったりの奴も多かったし、男子部員も結構いたのでよかったと思った。

 

当時、吹奏楽のことは全く知らなかったので特に疑問には感じていなかったが、うちの学校のバンドの編成は男女でとても偏っていた。

すべての木管楽器とホルンは完全に女子だけだった。チューバ、ユーフォニウムは男子だけ、トロンボーンはほぼ男子、トランペットは半々、コントラバスはできる人、パーカッションは女子だけ、といった感じだ。半ば自然に、半ば強制的にそうなっていた。

その中で僕は希望通りのトランペットになった。

 

 

入部したての頃の、練習前の時間のことだ。

僕らトランペットパートの前に座っていたサックスの三年生の女子の先輩が、振り向いて僕の方を見ながら「ちょっと!あの子カワイイ!」と横にいた二年生たちをバンバンしながら騒ぎ出した。二年生たちも同調して「ほんとだ。かわいー。」などと言っている。

小学生から中学生になったばかりの男子と、中二・中三の女子では、色々な面で子どもと大人くらいの差があると思う。大人の目から見て「かわいい子ども」といった感覚なのかもしれないが、言われたこっちは結構戸惑う。嬉しさが無い訳ではないが、恥ずかしさが強く、どんな反応をすればいいか分からなかった。中学校って何かすげーと思った。

 

そもそも小学校では、男子と女子は対立することこそあれ、お互いに「かっこいい」だの「かわいい」だの「好き」だの面と向かって言うのは恥ずかしいことではなかったか?

それが中学生になると周りの雰囲気が少し違っていた。

「〇〇さんって可愛いね。」と口に出して言う男だの、女子にちょっとエッチな話をする男だのがなんだかモテていた。男同士でも恋愛話などをするようになっていた。

僕にはそれがいつの間に変わったのか分からなかった。恋愛話も下ネタも、その後もずっと恥ずかしくて苦手だった。

 

サックスの先輩たちの「カワイイ」は恋愛とは違っている。ペット?マスコット?そんな感じだと思った。

そのうちに「私ら、あじろ君のファンクラブ作ったんよ。」などと言い出した。

恥ずい。やめてくれ。

 

僕のリアクションが薄いのでそのファンクラブ活動はあまり盛り上がらなかったと思うが、その中の二年生の先輩の一人が時々僕に手紙を渡してくれるようになった。

 

便箋やレポート用紙なんかに書かれたその手紙は、いつもいろいろな折り方がされていた。角のない長方形、Yシャツ、ハート、六角形、リボン。僕はその折り方がいつも興味深く、そして素直に感心していた。

先輩はその手紙を、廊下ですれ違いざまにスッと渡してきたり、下駄箱の靴の後ろに隠しておいたりするのだ。

内容は先輩の好きなアーティスト(「アーティスト」という言葉をこの手紙で知った)の話や、身の回りの出来事、悩みごとというか考えていることなど。言うなれば「交換しない交換日記」とか「読者が僕一人だけのブログ」みたいな感じだった。

僕は手紙に関して、もちろん返事を書いたりはしないし、他の誰かに言うこともない、内容について本人にコメントをすることもない。ただひたすら、そっと受け取ってきちんと読む。それだけだった。

週に数通。一年以上はもらったんじゃなかっただろうか。

僕は手紙を元通りの形に折り直し、短期間だけやっていた進研ゼミのA3サイズの空き封筒に入れて、机の本立てに立てていた。そして時々取り出しては読み返していた。

 

先輩とは直接話すことはそれほど多くなかったし、お互いに恋愛感情を持っているわけでもない、不思議な関係だった。中学生くらいの女子ではよくある行動なのかな。僕はただただ受け身だった。

ある日先輩が「もうそろそろ手紙書くの止めるね。」と言い、「あじろ君、私の渡した手紙、まだ持ってるの?」と訊くので「はい、あります。」と僕は答えた。

「全部捨ててね。」先輩は言った。そして長らく続いた手紙のやり取りは終わった。

僕は言われた通りに手紙を捨てた。

 

 

高校生になった頃、いつも行く本屋さんの小説コーナーで、その先輩の名前を見つけた。

「え、先輩、小説家になったの?」一瞬思ったが、歳は一つしか違わない。著者の紹介を見たが、顔も年齢も違う、同姓同名の作家だった。

その時は買わなかったが、後々その作家の本はよく読むようになった。

時が経つにつれて、その名前を見ても先輩のことを思い出すことはなくなってきたが、時折こうしてふと思い出すことがある。