totoを当てる日

サッカーくじtotoを当てて人生を変える話

Spit it out ③

実家から遠く離れた某国立大後期の二次試験、僕は受験の費用をなるべく安くあげるために、大学近くの旅館がやっている「受験生相部屋(15〜20人)」という格安プランを選んだ。

 

受験前日、僕はかなり早めに宿に到着した。

すると、宴会をやるような大広間に、ポツンと独り寝っ転がってテレビを観ているジャージの男がいた。

挨拶しながら入っていくと、その人は「ああ、やっと誰か来てくれたんねー。昨日はこの広かとこに一人寝とって、てーげ寂しかったんよー。」みたいな感じで喋り出した。

宮崎県から来たという彼は、遠すぎて前日入りでは間に合わないから前々日から来た(?)と言い、再びテレビに目を戻しながら、「やっぱり紺野美沙子って美人やわ〜、ねー?」などと言って、ジャージの尻をポリポリと掻いていた。部屋の主、といった感じですっかりくつろいでいる。

浪人生の彼は、今まで受けた他大学の試験の失敗談を語り、浪人の辛さを語り、大好きな野球の話を語り、好きな芸能人のことを語り・・・と、僕は主に聞き役であったが、大広間で二人、色々な話をした。彼の宮崎弁は何を言っているのかよく分からない時もあったが、ずいぶんと優しい言葉の響きに感じられた。

その頃の僕は、毎日々々酷いことを言ってくる親の言葉に苛立ち、ケンカばかりしていたので、彼との会話は久しぶりに心が癒やされるような感覚だった。

 

次第に他の受験生たちも到着し始めた。

各々、自分の荷物を置き布団を敷くスペースを確保する。受験を翌日に控え、みんなちょっと緊張した面持ちで勉強したり、隣の人と軽く会話を交わしたりしていた。

僕は、宮崎の彼に加えて、大阪から来たという二浪のバンドマン、石川県の小松市から来たという素朴なヤンキーみたいな人と妙に仲良くなって、四人でひたすら喋っていた。

高三の三学期はもう学校に行くこともなく、ずっと家に籠りっぱなし。この試験の直前に僕は18歳の誕生日だったのだけど、本当に誰一人にも「おめでとう」を言われることもなくただ親とケンカしただけ、という寂しい日々を過ごしていた。受験の宿での時間は、久々に心の底から笑えた、楽しい時間だった。

 

僕は、試験の成績的にこの大学を受験していたが、正直あまり行きたいとは思っていなかった。家から出ていくことを望んではいたが、家庭の経済的な事情や、親の希望や、通っていた学校の風潮から、そうは言っても”地元の国立大に進むべきだ”という思いは強かった。地元の大学よりもレベルの高い学校に行くために家を出るのならまだしも、行けるところへ行くというのは恥ずかしいことだ。そうも思っていた。

もしこの大学に受かったとしても、行かずに一年浪人させてもらおうか・・・ 

迷っていた。

 

宮崎の彼は、どうやら僕と同じ専攻を受けるらしい。そして、もしこの大学に来るなら入るつもりだった学生寮も、同じく希望していた。入試のあとに寮の見学会があったのだ。

僕は彼に何か縁を感じた。また会いたいと思った。友だちになりたいと思った。

もし合格できたなら、この大学に通おう。

僕はこの男に出会ったことを一番の理由に、その大学に入ることを決めた。

寮に入れば、月に一万円程度の寮費で朝晩二食付きで住める。学費は経済的に厳しい家庭向けに、学業成績が条件の免除制度があった。育英会奨学金も借りた。バイトもいろいろした。

僕は親から金を出してもらわずに大学へ行くことにこだわった。

 

 

合格はした。

母親には馬鹿にされた。その後もずーっと折々に、その大学を選んだことへの嫌味を言われ続けている。

 

 

入学式の数日前に、僕はバッグ一つを提げて入寮した。三回生の先輩との二人部屋だ。

寮は建物はかなりボロいが、学生が運営する自治寮で、「毎日がカーニバル」を標榜する楽しいところだった。

 

あいつはいた。二人で再会を喜びあった。

バンドマンとヤンキーは駄目だったようだ。

 

僕らは同じ研究室で、同じ寮生として仲良くなり、ひたすらくだらない話をしていた。

学生の間に日本の全都道府県を車で回ろうという企画を、あと二人加えた四人でやっていて、長期の休みの度に少しづつ実行した。他大学の自治寮に泊めてもらったりテントに寝たりしながら、金を使わない旅をした。

 

 

大学を卒業後は、彼は故郷の宮崎に帰り、大学での専攻を活かした職についた。

僕は大学の途中で、かなり心を病んで、社会との交流を絶った酷い生活を送るようになり、留年しながらなんとか卒業することになる。その過程で大きく方向転換を図り、もともとやりたかった、今の仕事への道を目指すことにした。

そこからの現在に至るまでの日々は、半分はずっとリハビリをしながら、何とかまともな社会生活に馴染もうとして生きているような、そんな感覚がある。   (おわり)