サッカーというスポーツを語るときに、「サッカーはミスをすることが前提のスポーツだ」というものがある。
子どもが所属していたスポ少のコーチにも聞いたことがあるし、テレビのサッカー解説者の口から聞いたこともある。
サッカーの最も根源的かつ特徴的なルールは「手を使ってはいけない」ということ。
人間がボールを一番思い通り器用に扱える「手」を使わないことで、その「上手くいかなさを楽しむ」「偶然性を楽しむ」のがサッカーである、と。
だから、誰かが試合でミスをしても一人に責任を負わせてはいけない。ミスをするのが当たり前として、お互いにカバーをできるように考えながらプレーするんだ。
そしてサッカー選手たちは確かにこの原則に従ってプレーを選択している。
また得点を取ったときにも、自分の力だけで取れたわけではないと考える。
サッカーのことを何も知らなかった僕はこの考え方を聞いた時、めちゃくちゃいいと思った。
野球なんて公式記録に「エラー」があるくらい個人の責任にキビしいもんな。(まあポジションがはっきりしてるからね。)
小学校時代の子どものチームの試合を見ていて、たまに対戦相手のチームのコーチがミスした選手を激しく怒鳴りつけてる姿を見ると、うちのチームの保護者たちは結構ひいていた。
子どもの所属していたチームの、この「ミスを責めずにサッカー楽しもうよウェ〜イ」みたいなノリは、僕がサッカーを好きになった理由の一つである。(チームはわりと強かったんですよ。)
でも考えてみたらサッカーに限らず、どんな競技でも「個人のミスを責めずにお互いが助け合う」という精神は当たり前にあって(野球もね)、スポーツを通してそのことを学んでいくのだろう。
もちろん選手たちは「ミスしてもいいや」と思ってやっているわけはなく、ミスしないために、またいいプレイができるようになるために、必死に努力をしている。
特にプロともなれば厳しい査定の目で常に見られ、選別されていく。好きなことでお金を稼ぐ楽しさと、そのことの難しさ、厳しさは裏表だ。
スポーツを観戦する側にとってもある程度そういう「個人を責めない」「選手へのリスペクト」の心を理解することは大切だと思う。
SNSで「〇〇が戦犯だ」「〇〇のせいで負けた」みたいなものを目にすることがある。
確かに決定的な場面での成否の分かりやすいプレーはある。
ただ相手よりも得点を取れていれば勝っているわけだし、たまたま運良く点が入らなかったような場面も無数にある。
本当にその1プレーだけで勝敗に関する個人の責任なんか問えるはずもない。
そもそも「戦犯」て何だよ? 「戦争犯罪人」の略だぞ。なんでこんな言葉、スポーツに使うようになったんだろうね?
スタジアムでも、近くの席にヤジのうるさいおっさんがいると本当に楽しい気分が萎える。
「ボールを下げるな!」だの「なんで取れね〜んだよ!」だの「走れ!コノヤロウ!」だの「辞めちまえ!」だの。
うるせーんだよ! 子どもらに聞かせたくねー。
選手を鼓舞するでもなく、真っ当な批判ですらなく、ただの悪口、憂さ晴らし。
そういう人は大体いつも来ている、そして独りで来てるおっさんだ。
ん? 僕も気をつけなければ・・・。
まあ、サッカーに限らず、安易に人を責めるようなおっさんにはなりたくないなぁ。