totoを当てる日

サッカーくじtotoを当てて人生を変える話

露天風呂の日によせて

 

明日は6月26日。

6.26、露天風呂の日である。

数ある語呂合わせの中でも、よくできている記念日だと思う。

 

 

 

僕が社会人(一般的な就職というよりも徒弟制の弟子みたいな感じなんだけど)になった、最初のころの話。

 

仕事を決めたのが突然だったために、急遽、大阪市内で住むところを探すことになった。

師匠のおかみさんが見繕ってくれた三つのお安め物件の中から、僕が選んだのは「文化住宅」と言われる物件だった。

 

文化住宅」ってその時初めて聞いた言葉だったんだけど、まあ、アパートですよ。

かなり年季の入ったアパートで、壁は薄く、西日がきつい。トイレは和式で、風呂はなし。天井裏からは、たまにネズミの走り回る音が聞こえた。

ただ、昔の畳の六畳だからか、六畳二間(台所と居室)の間取りは広々としていて収納も大きかった。

しかも、お風呂はないのに何故か「床の間」が付いていた。その辺りが「文化」の香りなのかもしれない。

僕は台所の広さと床の間が気に入って、ミニキッチンの狭いワンルームマンションではなく、その部屋に決めたのだった。

あと、「文化住宅」って呼び方もなんだか良かった。

 

 

 

お風呂がないので毎日銭湯に通った。

実はそれも良くてこの部屋にしたというのもある。学生時代もごくたまに銭湯に行くことがあった。その時に、銭湯には家のお風呂にはない気持ちのよさがあることを知った。

 

自転車で行ける範囲に三軒の銭湯を見つけ、その日の気分でローテーションした。

 

もちろん一番近くの銭湯に行くことが多かったけれど、少し遠くの銭湯の方が遅くまでやっていた。

仕事から帰るのが遅くなると、晩ごはんを食べてちょっとホッとしていると、すぐに夜中の十二時過ぎになってしまう。

深夜までやっている、少し遠くの銭湯へ行く機会も次第に増えていった。

 

そして、その銭湯には「露天風呂」があった。壁に囲まれているけど、屋根はない。浴場内とは確かに違う、外の空気が感じられた。

銭湯のお湯はだいたい熱めなので、時々身体を冷ましながらゆっくり浸かっていられる露天風呂は、のんびりとした気分を味わうことができた。

 

修行中の弟子としての仕事というのは、給料、労働時間、上下関係の理不尽さ。どれをとっても、今風に言えば、なかなかにブラックの極みであった。労働基準法の管轄外なのか?

よくは分からなかったが、まあ、そうやって少しずつ仕事を覚えさせてもらった。

そんな生活の中での、真夜中の銭湯、露天風呂コーナーは、心身ともにリフレッシュするための、日々の大切な憩いの場だった。

 

 

 

その日もかなり遅めの時間に銭湯に行った。

いつもよりも更に遅い、「閉店時間までには出られるだろう」ぐらいのタイミングで、湯船で温まったあと、鏡の前に腰を下ろしてシャンプーをしていた。

僕の他にはもう二人くらいしかお客さんは残っていなかった。

 

その日の仕事のことを、あれこれ考えながらシャンプーをしていた。

だから新しいお客さんが入ってきて、周囲が何となくガヤガヤし始めた気配はあったけれど、あまりそちらに意識を向けていなかったと思う。

シャワーのお湯でシャンプーを洗い流して目を開けると、いつの間にか僕の両隣りに人が座って身体を洗っていた。

左右とも全身入れ墨の人だった。

 

その当時は、銭湯で入れ墨の人を見かけることは、まあまあよくあることだった。

でもその日は、見ればその隣りも、さらにその隣りも、いや、ズラッと並んで腰掛けている、僕以外の一列全員が全身入れ墨の人たちだった。

鏡越しに見れば、後ろの湯船もそういう人たちでいっぱいだった。

隣りの男が、一瞬僕の方を見てニヤッとしたような気がした。

 

このシチュエーション、漫画やん。あるいは昔のドッキリで見たことあるやつやん。

 

湯船の真ん中には、超肥満の酔っぱらったおじいちゃん、親分らしき人がいて、若い衆が支えたり甲斐甲斐しくお世話をしたりしていた。その姿はちょっと介護を思わせた。

おそらく一般の人たちの迷惑にならないように、閉店間際の遅々の時間に、事務所あるいは一家お揃いで、この銭湯を利用されているのであろう。

さっきまでガラガラだった浴場内は、僕がシャンプーしてる間に、二十人以上のヤ◯ザな男たちで一気に賑わっているのだった。

 

 

僕はコンディショナーを手に出し、もう一度、目を瞑った。