この前、夕暮れにランニングをしていたら、通りかかった保育園の園庭に万国旗が張り巡らされていた。
運動会の準備中なのか、終わった日の夕方だったのか。誰もいない園庭の万国旗に、可愛らしさと一抹の寂しさを感じた。
「体育の日」は知らないうちに「スポーツの日」になっていた。
運動会の思い出。自分の分も子どもたちの分もいくつかあるけれど、僕が小学生の頃の、脳震盪を起こした時の話をしてみよう。
担任の先生を憶えているので、たしか小3の時のことだ。
コロナの流行を経て、最近の運動会は種目数や開催時間の縮小傾向にあるようだが、昭和の運動会は何だかやけに力が入っていたような気がする。一つの学年で3種目か4種目ずつはあった。
リレー系。ダンス系。組体操や騎馬戦、綱引き、玉入れ、ムカデ競争といった毎年お馴染みの伝統競技もあれば、その年限りの新作競技みたいなものもあった。
小3の新作競技は「動物リレー」というもので、4つの動物になぞらえた走り方でリレーをするというものだった。僕が出たのはその中で「カンガルー」というもので、ペアの相手を向かい合わせで抱きかかえて走る競技だった。
クラスの中で体の大きなH君とペアを組んだ。背も低く体重も軽い僕が抱えられる側、H君は僕を抱いて走る側だ。僕はH君の首に手を回し、両足で胴体にしがみつく。H君は僕のお尻の辺りを抱える形だ。
運動会の前に、学年全体で一度だけその競技の練習があった。
練習とはいえ他のクラスとの競争なので、みんな声を上げて応援しているし、走る方も一生懸命だ。H君も必死で走っていたと思う。僕はただ落ちないようにしっかりとしがみついているのみだ。
そしてH君は盛大に蹴っつまづき、転倒した。
僕は何の受け身をとることもなく、上から巨体のH君に乗っかられる形で地面に後頭部を強くぶつけた。ガンッ!
「大丈夫かっ?」みんなが駆け寄ってくる気配を感じながら、目の前がフゥーっと真っ暗になっていった。
僕は気絶した。
次にゆっくりと目を開けた時、僕はピロティのコンクリートの床に寝かされており、担任をはじめクラスのみんなが輪になって僕の顔を覗き込んでいる状態であった。
「あっ、目を覚ました!」
僕は体が重たく、頭もまだぼんやりしていたように思う。細かいことはあまり憶えていない。
一番記憶にあるのは、横でH君がめちゃくちゃクラスのみんなに責められていたことだ。
「何で転けるんだよ!」とか「お前デブ過ぎるんだよ!」とか酷い責められようだった。H君は責められて泣きながら僕に謝ってくれた。僕は「大丈夫。大丈夫だから。」と繰り返した。却って何だか申し訳ない気持ちたった。
担任の先生曰く「ノーシントーだな。」ということで、意識が戻って「大丈夫、大丈夫」を繰り返していた僕は、特に病院に行くこともなくそのまま終わりとなった。最近はプロスポーツでも脳震盪に対する扱いがかなり慎重になってきたけれど、昭和の頃は頭を打って気絶する、みたいなことは大したことではなかったのかもしれない。
本番の運動会、また同じ目にあうんじゃないかと正直ちょっとビビってたんだけど、H君は転ぶことなく、ちゃんと無事に僕らの区間を走ってくれた。
あの時も思ったし今考えてもそうなのだけど、あれはH君が悪いとかではなく、明らかに競技の設計上のミスだろう。同級生を抱えて足元も見えずに全力で走ったら、そりゃそうなるに決まってんじゃん、という感じだ。不幸な事故が僕一人で済んでよかったくらいだ。
僕の頭はその後も特に問題はないように思う。多分。
ただ今回、この文章を書くにあたって、「動物リレー」のカンガルー以外の3つの動物を思い出そうとかなり頑張ってみたのだけど、一切思い出せない。
そしてその後、二度と「動物リレー」が行われることもなかった。