totoを当てる日

サッカーくじtotoを当てて人生を変える話

秋は深まり

週末、妻の伯母さんの法事があった。

高三の娘が土日とも模試があり弁当もいると言うので、申し訳ないけれど妻だけ行ってもらって、僕は娘と留守番することにした。妻の実家までは車で4~5時間はかかるので、運転要員としても一緒に行ったほうがいいのだが、仕方ない。

 

娘のリクエストもあり、土日はおでんを仕込んでおいて食べ続けることにした。牛スジだけは金曜の夜から茹でておいた。土曜の仕事から帰って、妻を実家へと送り出し、おでんを作る。昆布だしを取り、鰹節は顆粒で済ませる。

日曜の夜には帰ってきた妻も食べると思うので鍋2つにそれなりの量を作った。

この前開けた山田錦純米酒が残っていたので、おでんに合わせて少し飲む。

 

模試に持っていく弁当も、保温容器に熱々のおでんを入れて、ご飯には「海苔で切り絵でもしてやろうか」などと考えていたが、夜、帰ってきた娘が言うには「明日は昼で帰れるらしいから弁当は要らない。」ということであった。少し残念だ。

それならば日曜の昼はカップ焼きそばにしようと思った。この前北海道に旅行に行った人からお土産に「北海道限定・やきそば弁当」と書かれたカップ焼きそばをもらったのだ。娘はカップ焼きそばというものを一度も食べたことがないと言う。そういえば確かに食べさせた覚えがない。

何が「北海道限定」なのかはよく分からなかったが、「やきそば弁当」というのは「粉末のコンソメスープ」が付いており、湯切りの湯を使ってスープを作れということらしい。

 

 

日曜日、朝早くに娘を送り出したあとは、手早く洗濯と掃除、そして「干し柿を焼酎で消毒して揉む」という作業を済ませ、一人のんびりと朝食を食べた。

炊きたてのご飯に、おでんの〈玉子、大根、厚揚げ、はんぺん〉あたりを載せ、潰して混ぜる。カラシとマヨネーズも少々入れる。これが美味いんだ。目の前に昨日の山田錦の瓶があったので、盃に一杯いただく。妻が乗っていったので今日は車に乗ることもない。朝酒も美味い。

 

先週は阿呆のようにサッカーばかり観て過ごしたが、今週はJ1もJ2もお休みだ。

せっかく一人なので窓もカーテンも閉め切ってギターを弾く。家族がいると音や声を出すのはやっぱり遠慮してしまう。昼過ぎに娘が帰ってくるまで堪能した。

 

 

 

いつも行く図書館が、書庫の整理のためしばらくお休みだった。

その分借りていた本はゆっくり読めた。その中の一冊、「〈責任〉の生成 ー中動態と当事者研究」(國分功一郎・熊谷晋一郎の対談公開講座5回分をまとめたもの)がとても興味深かった。

「中動態」とは、古代ギリシア語に存在していた文法概念で、「能動態」や「受動態」と同様なものである。現在、「する/される」で対立関係にある「能動態/受動態」だが、かつての言語では能動態と中動態が対立関係であり、受動態は中動態が担っていた意味の一つであったという。

言語から中動態が無くなり、能動態と受動態の対立関係へと変化していったのに伴い、「意志」や「責任」の概念も新たに生じてきたのではないかというのが國分氏の考えである。

そして一方の熊谷氏は、障がい者、依存症患者、犯罪加害者などが、自分たちで客観的に自分自身に起こっていることを分析・研究する「当事者研究」を研究している。

現実的な課題と哲学的な概念を擦り合わせることによって、お互いの考えを深めていこうとする取り組みがこの本の内容である。対談なので読みやすいし、講座に参加している方たちも、それぞれ自分自身の課題とこの話を結びつけて考えていく様子を読んでいくことで、僕自身も自分のことと結びつけて考えることができるように思えた。

「意志」や「責任」についての世の中の考え方や、僕自身の考え方が根本から覆されるように感じた。

 

また、二人のそれぞれの著作をもう少し読んでみたいと思った。