我が家のストーブたちを紹介しよう。
一番新しいのは、と言っても買ってから3~4年は経つけれど、リビングのテーブルの下に置いているやつだ。
うちのリビングのテーブルは、ほぼ円卓である。円の一部がまっすぐに切られている、アルファベットの「D」と「円」の中間くらいの形をしている。直線部分には二人がけのソファーベンチを置いて、他に三つの椅子が円卓を囲む。
食卓であり、リビングで過ごすメインの場であるこのテーブルと椅子は、この家に引っ越す時にいろいろ見て回って選んだものだ。最初に見たときに一目惚れして、その後もいろいろなテーブルと椅子を見たんだけど、これを超えるものがなかった。ちょっと高かったんだけど、家族で円卓を囲む感じが何だかとても良く感じた。
この円卓の下に円筒形の電気ストーブを置いている。こいつは360°首を振る。
電器屋さんの「格安コーナー」に置かれていたよく分からないメーカーのもので、買ってから一ヶ月で壊れて点かなくなった。保証期間だったので無料修理をしてもらってからは、今まで元気に活躍している。
足元が温かいのはいい。
本当はこの円卓に布団を被せて、そのままコタツになればいいのに、と思っている。
次に各部屋で使うストーブ。
ダイキンの「セラムヒート」というものを使っている。たぶん「セラミックヒーター」と言われるものなんだと思う。
点けたらすぐに温まるし、前にいる人だけでなく輻射熱で部屋全体も結構温まる。(狭い部屋ならね。)タイマーもあるし首も振る。強さの目盛りが10まであるけど3~4くらいで十分暖かいくらいパワーがある。持ち運びもまあまあできるので、寒い部屋へ持って行く。
使い勝手がいいので、数年後にもう一台買って二台になった。
欠点は値段が少し高いことだけだ。
そして最後。我が家で最強のストーブ(とにかく一番寒い時に点けるやつ)は、円筒形の石油ストーブだ。
これは、僕が働き始めた大阪での「文化住宅」時代。
「文化住宅」と呼ばれる古いアパートに住んでいた冬に買ったストーブだ。
地下鉄谷町線の都島駅、その近くのマツヤデンキから自転車の荷台にストーブのでっかい箱を載せて、なんとか自転車を押して帰ったことは憶えている。
一人暮らしのアパートに「最適」とは言えないこのストーブをなぜ選んだのだろう?
電気ストーブよりも石油のほうがずっと温かいと思っていたし、円筒形のデザインが好みだったのもある。
寒い冬の日に一日中部屋に籠もって、ストーブの上でじっくりスープなんかを煮込んでみたかったというのもある。
灯りを消した部屋で、週末にやってくる彼女(妻)と二人、ぼうっと明るいストーブの炎を見ながら語り合うのも素敵やん、などと思っていたのもある。
「ロマンチスト」と書いて「馬鹿」と読む、みたいな男だった。
実際、このストーブはめちゃめちゃ温かいし、この上でチーズフォンデュなんかもやってみたし、ストーブの炎のオレンジ色のやわらかい灯りは結構いい雰囲気なのだった。
子どもたちが小さかった頃はしまい込んで使っていなかった時期もあるのだが、自分で芯の交換までしながら今まで愛用し続けている。
それぞれのストーブを買った理由を思い出してみた時、いつも「誰かと一緒に温まる」ことを前提に考えていたことに気づき、これはずいぶんと幸せなことだったのだなと思う。
穂村弘の歌に、 ” 体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ ” というのがあるが、これも、何だかんだ言っても、冬の日に「誰かと一緒に暖かい部屋の中にいる」ことの幸福感というものを感じさせる。
でもこの幸福感は、孤独を知っている人だからこそ感じられるものなんじゃないかとも思う。このかけがえのない時間はいつも当たり前にあるものではないんだろう。
ストーブは出したものの、灯油はまだ買っていない。
今年の灯油も高そうだし、このストーブはここぞというときにしか点けられそうにない。