totoを当てる日

サッカーくじtotoを当てて人生を変える話

モンスターを手懐ける

マンションの階段をのぼっている。運動の一環として。

 

僕の毎日の生活の中で「上る」という動作があまりに皆無だったもので、とりあえず始めたことだ。十階分以上は上るので、毎日続けていたら自然と「上る」力がつくのではないかと思っているが、一日にせいぜい二回くらいなのでそれほどの効果もないかもしれない。

一段飛ばしで行くと、やっぱり相変わらず八階あたりから太腿がきつく感じ出し、息があがってくる。でも前よりもだいぶ速く上れるようにはなってきた。

 

以前のブログで書いた、軽い山登りで体力の低下を感じた、その次の日から始めたことだ。

〝人の脳は、49日間(7週間)続けたことは習慣・ルーティンワークとしてスムーズに行うことができるようになる〟というのを本で読んだことがある。

ブログの日付けから見ると、階段昇りは今週いっぱいでちょうど7週間なので、習慣としてこのまま定着するのだろう。最近はエレベーターよりも自然と階段に足が向くようになった。

 

ついでに下りも階段を使うようになったのだけど、「階段を降りる」という行為って、意外と快いことに気がついた。

「何が?」と訊かれると上手く言語化できないが、朝の身体のウォーミングアップになる感じ、特に「足関節やふくらはぎをリズミカルに動かす心地よさ」だったり、「内臓が適度に揺れる感覚」だったりがいいんじゃないかと思う。

小学生の頃、タン、タタン、タタン、タタン・・・って「リズミカルに校舎の階段を降りる上級生女子」というものをよく見かけたものだが(伝われ!)、あれはきっと「階段を降りる快さ」を味わっていたと思う。子どもは感覚的に快さを知っているものだ。

 

 

 

続けているといえば、これも以前のブログで書いたことがある、「人に対して否定的な気持ちから入らない」と意識すること、も一応続いている。たしか八月の終わりくらいのブログに書いたと思う。

 

僕は仕事で毎日いろいろな人と接するのだけれど、会った瞬間に「この人は要注意だ」、「面倒くさそうな人だ」、「あまり関わりたくない」みたいな気持ちが浮かぶことがある。そして、だいたいその予想は間違ってはいない。

 

極度の面倒くさがりの僕は、面倒な人間関係をスパスパ切ってしまう傾向にある。それで苦しみはなくなる気がするのだけど、後で自分の度量の無さ、器の小ささが嫌になることもある。

どうしても合わない人はいると思うが、せめて「最初から相手に対して否定的な気持ちから入っていく」のは止めてみようと思ったのだ。

 

 

直後、早速モンスターみたいな人が現れた。

その人も「ザ・世の中のすべてに対して否定から入る人」みたいな人だった。

 

人から薦められて来た人で、口ぶりは丁寧なのだが、基本的に他人を見下していて、何だか常にこちらのマイナス要素を見つけようとしているようだった。根掘り葉掘りの質問もいちいち面倒くさいタイプの質問だ。結果に対しても必ず何かしらのケチをつけてくる。

 

何の仕事もそうだろうけど、僕の仕事も相手に信頼されることからがスタートだ。

横柄な相手にも丁寧に接し、不安をぶつけてくる質問にきちんと答え、何よりも「結果」でこちらの力を示す。

そうやって、不信感丸出しの相手に、こちらの力を示すことで徐々に信頼されていくのは喜びでもある。

信頼を得られた時に初めて相手は、僕の本当の「顧客」となってくれる。

だから新しい出会いの度に毎回そういうステップを踏むのは当たり前で、日々普通にこなしているし、年々対応できる範囲もレベルアップできていると思う。

 

ただそれでもあまりに度が過ぎると、こっちも疲弊してしまう。

えーい面倒くせえ、もういい加減にしろっ!と投げ出したくなる。そういう、「どうしても我慢できない」みたいな相手が年に一人二人は出てくる。

 

今回のモンスターは数年に一度レベルのモンスターだった。

その人が来ると本当に憂鬱だったし、仕事時間以外でも思い出して頭の中がその人のことで支配されてしまう。

九月いっぱいはそんな感じで、もうお断りしてしまおうか?と思いながらも、毎回なるべく誠実に、丁寧に、親切に接するように心がけた。

たぶん報われない、とは思いつつ。

 

 

結果、モンスターを手懐けた。

一つ一つ結果を示していくことで、僕の仕事が伝わった。こちらを受け入れてもらうと、さらに仕事もやりやすく、結果も伴うようになる。良い循環に入ったきた。懐いてくるとなかなかに可愛いものである。

 

今月に入ると、数年前にどうにも歯が立たなかった、別の「十年に一度レベルのモンスター」が再び現れた。

神様に試されている、と思った。

 

 

・・・なんて、文章にするために分かりやすく「モンスター」などと喩えてみたが、本当はそんな風に思ってはいない。

全部、〝僕が〟やらなくちゃいけない仕事。

ただそれだけだ。

 

上手くできないのは僕の力が足りないだけ、相手が厄介だと感じるのは自分に自信がないだけなのだ。

たぶん仕事は、知識や技術や経験も大切なのだけど、最終的には醸し出す雰囲気も含めたトータルの人間力の勝負なのだと思う。

相手をモンスターにもクレイマーにもしてしまうのは、こちらの接し方や受け止め方次第のことも少なくないんだろう。

 

たぶんそんなことはみんな分かっている。若い頃から普通にやっている。

僕もその都度その都度では懸命にやってきたつもりだけど、最後のところではできていない。「人のために」ができていない。

この齢になっても、意識しながら少しずつやっていくしかない。今更ではあるが、もうちょっとマシな人間になりたいのだ。

 

「本当のモンスターは自分の心の中にいる、自分自身が作り上げたアレ、なんだよ。」

などと意味深ぶった台詞で締めくくってみよう。