totoを当てる日

サッカーくじtotoを当てて人生を変える話

仕事納め

今日で今年の仕事納めとした。

ちょっと疲れた。というか、ここのところ疲労が蓄積してきている感じがある。

まあ暇よりはマシであると思おう。

 

一昨日から大学生の娘が帰省して来ており、家の中が一人分にぎやかだ。

その娘自体がにぎやかなわけではないが、妻も妹も僕も、みんな少しずつ普段よりテンションが高い。ウキウキしている。

 

明日が雨かもしれないということで、仕事終わりの夕方、四人でお墓参りに行ってきた。

霊園の急坂が秋のお彼岸の時よりも楽に登れて、毎日の階段登りの効果を実感できた。

 

 

今年もやっぱり「仕事しかしていない一年」だったとは思うが、一年を通じて手を抜かずに頑張れたと思うし、充実感もある。

年の終わり、「仕事に関して、今年一年でどこが成長できたか」を具体的に挙げてみる、ということをやっている。

開業してから毎年末の習慣だ。

ただ自分の心の中だけでやっていることで、人に言ったり書いたりすることはない。

今年も「明らかに成長できた」と言える部分はあったので良しとする。

 

 

新しいことといえばtotoとブログをやってみたことだ。

totoを当てる日」と題している以上その総括をするべき、かもしれない。

 

今年一年間、Jリーグの開催期間中の毎週、totoやBIGのくじを買い続けた。

その感想は、「お金を増やす目的には相応しくないことがはっきりした。」といったところだろうか。

賢明な方は「そんなこと当たり前だ」と思われるであろうが、馬鹿な僕は、できるかぎりの情報を集めて必死で予想すれば当たることだってあるだろう、と結構本気で思っていたのだ。

だっていつも観ているJリーグだもの。勝敗の予想くらいは簡単にできるはずだ。

 

実際、今年も当たったことはあった。だから「totoを当てる日」は間違いではない。

ただ、僕の思い描いていた高額当選ではなかった、ということだ。

 

お金を得る、という目的でいえば、仕事の集客にもっとちゃんと力を入れることや、「投機」(totoも広い意味で言えば投機に当たると思う)ではなく、もう少し確実な「投資」にお金を回すというのが、真っ当な人のやり方である。

けっこう真剣にそう思った。そう思えた。

 

totoは楽しむもの。

毎週一口くらいで細く長く続けてみる、というのがいい気がする。

 

BIGには魔力がある。

ついつい買いたくなる。

一口がtotoの3倍の値段。そして正直、当たる気もしない。

MEGABIG、もう何週間一等が出ていないんだろうか?キャリーオーバーが43億とかになっている。

それを目にすると、せめて一口だけでも買っておきたくなる。

 

でも一口、二口ずつとはいえ、無駄金も積もれば山になってくる。

リーグ戦も終わった今月は、「今日の仕事の売上が〇〇円を超えたらMEGABIG 一口買ってもいい」みたいな感じで、仕事のモチベーションを上げる材料にしていた。

でも結局のところ当たらないくじに注ぎ込んだお金は無駄金なのだ。

一年間でけっこう積もったと思う。

 

 

ブログに関しては、何故始めようと思ったのか今ではもうよく分からなくなってしまった。

文章を書くのは面倒で、小学校一年生の時には作文を書くのが楽しいと思っていた記憶もあるのだけど(その時の担任の先生が僕の作文をいつも面白がってくれて、みんなの前で読ませては先生一人がウケていた)、その後は、作文も読書感想文もレポートも論文もずっと嫌いだった。書いて書けないことはないけど、面倒だし、自分の考えをまとめるということが苦手だった。

日記の宿題なんかも、いつも何も書くことがなくて困っていた。

社会人になってからは、文章を書く機会はほとんどないし、自分で何か書こうと思うこともなかった。

 

そういうわけで、本当に久しぶりに「文章を書く」という行為を行った感じなのである。

結果、それなりに楽しんで書いていた。

インプットは好きだけどアウトプットには苦手意識がある。自分の文章がぎこちない感じがする自覚もあるし、思っていることが上手く書き表せられないもどかしさもある。文章が幼稚なのも分かっている。

比較的好きなのは推敲、校正の作業だ、ということも発見した。

 

自分のブログの一番の読者は自分自身なんじゃないかと思う。一度書いたものを何度も読み返している。

totoを当てたいだけの哀しいおっさんの話。なんだけど、自分の人生を支えてくれている人たちへの感謝の手紙でもある。

 

・・・にはなってないか??

年の瀬なのでちょっときれいにまとめようとし過ぎたようだ。